孫に対するジイジの気持ちをお汲み取りいただければ幸いです。


孫
昭和〇〇年度卒業 目田町 植田 亘
ジイジ、ジイジという可愛らしい声とともに目が覚める。
アッ今日は孫が来ているのかと思う。
学窓会機関紙「通信」の原稿依頼を受けて改めて「孫」について雑感を書き記したい。
この原稿を書いている今日、孫は1歳10か月である。
男の子ということもあるのだろうか車に興味があるらしく、道行く車を見ては「ブー」「ブー」と何度も言っている。
ある時、保育園の保母さんから「もしかしてお爺様って軽トラックに乗ってます?」と娘が聞かれたとか。
なんでも園庭から外を見ている時に保母さんに「ブー」を連発していたのに軽トラックが通る時だけ「ジイジ」と言っていたということです。
なるほどなぁと感じいりました。
しかし孫というものはなんとも可愛いものです。
自分の子供の時はまだ現役ということもあり今の孫ほどは可愛いとは思わなかった。それより育てることに手一杯の状態であったように思う。
しかし孫は違う。自分も現役を引退し第2の人生を歩んでいる最中なので余裕というかゆとりというか責任がないというか、そんな感じでとにかく「猫可愛がり」なのである。
下の子が来春には生まれる予定なのでまだしばらくは賑やかに孫たちとの交流が楽しめそうである。
自分の子供時代を振り返ってみると当然親離れの時期が来るのでその時にちょっと一波乱あった気がする。
私は中学の思春期のころは母親と一緒に買い物に行くことがとても恥ずかしくて
「他人のふりをせい」とか「3メートル以内に近づくな」
とかの暴言を店内で母親に言っていた記憶がある。
親の身になってみるとなんと親不孝なことを言っていたのかと今は亡き母に謝りたい気持ちになる。
親孝行したい時には親はなし・・という諺がある。しかし子供というのは3歳までに一生分の親孝行をしてしまうので大丈夫ですよと以前聞いたことがある。
なるほど子供は3歳までにその可愛さで一生分の親孝行をするのか。
孫の一挙手一投足がとても可愛らしいのでさもありなんと思った。
ではそれほど気にすることでもないのかと気楽になったが世の中それほど気楽に送れないほど問題が山積している。
「地震・雷・火事・おやじ」といわれるように世の中の怖いものの代表である。
おやじは父親ではなく「台風」と解釈されているようであるが、昨今のニュースでもこの四大怖いものは頻発しておりこの先、孫の世代にはどうなってしまうのだろうとジイジ世代は思ってしまうのである。
台風も年々大型化しておりコースも当地を直撃するようなコースが多い気がするし、地震もいつどこで起きてもおかしく無いと言われている。
大きな断層は近くにはないが1キロほど離れたところを小さな断層が通っていることからニュースで報じられているような大地震に見舞われないかジイジとしてはとても心配である。
天災や自然現象には人は無力でとても抗うことはできないが、そこで全国各地にそれを鎮めるべく祭礼などがあると聞く。
もうこうなったら神頼みである。
有名どころの神社仏閣にお参りしてお守り袋を沢山もらってこようと思っている。
自分自身が小学生のころに車とぶつかる事故に遭ったがお守り袋を身に着けていたことからお守り袋の中の木の板が真っ二つに割れて自分自身はかすり傷で済んだという経験があるので意外と信じている自分がいる。
私の娘・・孫の母親は私以上にそういう類を信じるタイプなので孫には最強のお守り袋を持たせてやりたいと思っている。
じつはそのことだけがジイジにできる最大のことだと思っている。
バアバのようには細かく孫の世話をみられないのでそのことだけは負けないようにと思っている。
最後に孫の成人した姿を見られたらジイジはもう感無量なのである。